https://www.urawareds96.com/entry/2026/05/05/000541
このエントリについての感想をXのポストを繋げようとしたけど長くなりそうなのでこっちで。
伝達面の話で思い出したのがヘグモ解任後の町田戦の後に「選手たちはコンセプトや原理原則といった抽象度の高いものと、その試合での戦術という具体度の高いものの境目があまりないのでは?」と感じたこと。分けて考える習慣や、それをする時間的精神的な余裕が現場にいると無いのかもしれないけど。
HowToばかりを安易に求める風潮(文化?)が少なくとも現代の日本にあって、それが当然現代の日本で生活してきた選手たちにもあるのは自然で、そこに抽象度の高い話し方をしたらそりゃ噛み合わんってことだったのかな。
長沼が去年のキャンプから「もっと具体的に提示してよ」的なことを言い続けて、達也が正にそうしてくれて彼がイキイキしてるのも抽象/具体の階層がすれ違ってたからなんだろうか。
例えば、フォーメーションの噛み合わせでフットボールを捉えるのは、自分もそれを足掛かりにするんだけど、それは具体的な上に汎用性があるから使いやすいツール。
でも、フットボールはそれだけではなくて、初期配置通りにプレーしない選手もいるし、相手の出方次第で配置が変われば戦術ボードの上のマグネットを並べて話しても仕方なくて、その時誰がそこにいるのかみたいな人間の話になってくる。
そうすると話がどんどん混み合ってくるから時間的精神的に余裕が無いと立ち止まって話が整理出来ない。整理するためにはそれぞれの話題をグルーピングしつつ抽象/具体の度合いで階層分けしてみたいな作業をするけど、これは時間がかかる。
目の前に試合が次々やってきて、その中で結果に心が大きく揺さぶられる現場(特に選手たち)にそこまでの余裕があるだろうか。
だからミシャみたいに具体的なパターンを積み重ねてくれる指導者は好かれるんだろうな。でもそれも大事。すぐに体でやれるかは別として具体的だからこうすれば良いってことだよねがイメージ出来るから。
監督やコーチに求められるのはクラブが定めたコンセプト(抽象的なもの)を選手たちが目の前の試合で実行できる戦術(具体的なもの)に翻訳(演繹)していくことだと思うから、結局どこまで具体化する必要があるのかは適応してもらわないと難しいし、その観点で言えばホリが話したように、順応してもらう、というのは必要になるか。
すこはミシャとは逆で抽象から具体へ落としていくタイプで、どこまでやりますか?が揃わなかったというか、ずっと模索してたのかも。いや、具体的に伝えたら2023年の最初の2試合が、それはやりすぎ!な状態になって具体的に伝えるのをためらうようになったのかもしれない。あの時正直どう思った?は聞いてみたい。
まあ今年も、前に行こうって伝えたら前に行きすぎ!ってなっただけかもしれない。言外の部分をどう解釈するかは異文化コミュニケーションの中で1番難しい。これはポーランド語通訳だったらとかでは解決しない話。
そこを補うためにすこは保持をノブヤス&前迫の日本人コンビに委ねてたのかもしれない。どこまで具体化すれば良いかは日本人同士なら上手くやってくれるでしょって。ただそこにはヘグモ体制の時のように監督の求めてることをどれくらい理解してるのかという話になるんだけど。人間だから誰かのコピーにはならなくて、幾らかは必ず自分の好みや志向によるバイアスで人の言葉が魔翻訳される。そのリスクをどのくらい受け入れるか的な。
自分で同じような話題を整理中なのに先に出されたことに焦ってここで書きすぎたな。しまった。